2018年10月24日

そこから何が見えるか?

小田原駅から車で20分ほど走る。ゆるやかに湾曲する相模湾に臨む丘の中腹に「江之浦測候所」がある。視界の半分を空と海で覆われるこの絶景地で星座でも観測するのかと思ったけど、実際には観測所とは名ばかり、ここは写真家杉本博司の美術館のような施設で、奇妙なことにここには彼の本分である写真はほとんど飾られていない。言ってみれば江之浦測候所は「写真家による、写真の展示されていない、写真展」だ。

崖の斜面を切り拓いた広大な敷地は、そのまま巨大なインスタレーションになっている。見学者は館内マップを片手に自らの足で斜面を歩き、探索し、発見し、驚愕する。

写真もまったく飾られていないわけではない。順路の始まりの長い廊下ではいかにも杉本博司然とした彼の代表作『海景』シリーズの大判写真をいくつか見ることができる。でもそれはあまりにも唐突で、多分に暗示的だ。その曖昧で力強い水平線を覗き込んだ者は魔法にかけられてしまう。

 

ぐるぐるぐるぐる
これはあなた自身の体験

 

山道を歩きながら順路をたどっていく。施設内は高低差が激しく、次の展示を見るためには山道を下ったり、ぐるっと旋回したりすることになる。振り返って見上げると、そこにはさっきまで自分がいた場所が風景の一部に溶け込んで見えたりする。そう言えばあの場所にいたときに、はるか眼下に順路を進む人影が見えたことを思い出す。

そんなふうにして、数十人の見学客が時間差で敷地内を巡回していくのが「江之浦測候所」の流儀というわけだ。途中の小屋には古代生物の化石や古い農機具が飾られている。その小屋には小窓があり、そこから先を行く見学客の姿が見える。小屋の奥には勝手口があり、外に出るとそこには小さなガラスのお堂のオブジェがある。

小屋の裏手の小道に沿ってふたたび順路に戻ろうとすると、先程の小窓から小屋の中が見える。そこにはつい数分前の自分の姿を反復するかのように、ぼんやりとこちら側を見ている後続の見学客の姿がある。

ここで僕はかつて直島のベネッセミュージアムで観た杉本博司の息を呑むような写真を思い出す。地中美術館を観た後にベネッセミュージアムに辿り着いて、屋外のパティオに展示された『海景』の写真を目で追っていくと、途中で海に邪魔されて写真が途切れる。しかしそれは実は途切れていない。よく目を凝らすと、遥か遠くの崖の岸壁に額装された写真が小さく見えることに気づく。それは地中美術館のある辺りの場所で、眼の前のベネッセミュージアムの写真と、彼方の岸壁の写真がひと繋がりになっていることを発見し、その曖昧で力強い連続性に胸を熱くせざるを得なかった。

過去と今を体験によって図らずも自ら繋げていくその様子は、ヘッセの『シッダールタ』の感動的なクライマックスを彷彿とさせる。シッダールタが人生の様々な局面で川の流れに出会い、それらが常に連続性の中で同時的存在であったことを発見するあの名シーン。アルチュール・ランボーはそれを詩に読み、ジョン・ケージは音として鳴らした(あるいは鳴らさなかった)。

江之浦測候所で観測できるもの、それは観測史上最も無意味で、最も曖昧で、おそらく最も美しいものになるだろう。

35.1883205,139.13459940000007

Jake