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2016年8月30日

愛が募りすぎて書けなくなる、かき氷考。

自他ともに認めるかき氷好き、とりわけ「宇治金時」をメートル原器とする私ですが、
今年はあるお店のかき氷に惚れ込み、会う人会う人に宣伝をして回る……という事態になっています。
(じつは今日も、SHTのキュレーター仲間を募り行ってきたばかりです)

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最近はメディアに取り上げられることが増え、行列ができる店だとか、和食の鉄人の手がける店だとかの情報が先走っているようですが、そんなことはどうでもいい。
ここのかき氷は、私の「かき氷」という先入観を、いとも軽々と崩壊させてくれたという意味で、どこよりも得がたいお店になりました。

これは、かき氷ではなく、「冷たい和菓子」と呼んだ方が相応しい食べ物です。

上の画像はレギュラーメニューの「黒蜜きなこ」。
黒蜜がかすかに香る醤油クリームに、粒子感のあるきなこ。むっちりとした食感の白玉。氷の中には、しっかりと小倉餡。
このほか、だいたい月替わりで限定メニューが入れ替わります。
そのどれもが、「かき氷にこの素材を組み合わせるの!?」と驚かされる味わいで、
空気をたっぷり含んだ口溶けのよさ、かつ、「大型の丼に山盛り」というほどのボリュームでもまったく飽きないほど、ミルフィーユ状に味を重ねてあります。

それにしてもなぜ飽きない? なぜこれほど味わい深い? と、つくづく考えて思い当たったことひとつ。
上の「黒蜜きなこ」の他「みるく五穀」「枝豆」「すだちーず」と食べ継いだメニューに共通するのは、「甘さ」と「鹹(から)さ」が必ず同居していること。
甘さを重ねて感じるときに、ふっと遠くから香ってくる鹹さが、食べ続けていても自然と舌を休めてくれ、かすかな鹹さと鮮やかな甘さを重ねることで、舌で感じる味はより濃厚なものになる。

その甘・鹹のバランスがじつに絶妙なのだ、と思い至るようになりました。

 

かき氷って、清少納言が【枕草子】で「あて(貴)なるもの」として言及しているように、平安時代にも既にあったというほど歴史のある夏の甘味で、近年じつに個性的なメニューを供するお店が増えているけれども、こちらのお店のかき氷は、ちょっと一線を画するものだなあ……と、今後も月替わりのメニューから目が離せそうにありません。

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こちら、本日いただいた「すだちーず」。
酸味だけに寄らぬよう、甘さをしっかりつけたすだち蜜と、チーズクリームをたっぷり。
掘り進めると、京都ではよく見た「香煎」を思わせる細かなあられと、甘さも堅さもゆるくまとめた白あんが出てきます。

 

愛が募りすぎて、1か月以上も書きあぐねていたのに、いざ文を綴るとなんとも薄っぺらく、奥歯にものの挟まったような物言いに。
物書きとしての自分の力量にまで直面させてくれる、愛しくて恐ろしい、かき氷です。

 

【厨菓子 くろぎ】

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keiko