2017年4月4日

再会、20年の月日

20年前の夏、まだ10代だったわたしは目にいっぱい涙をためて、たった1人で飛行機に乗り込んだ。

 

行き先はオーストラリア、パース。

父の友人家族がいて、その家の娘さんの家に3週間の予定でホームステイさせてもらったのだ。

 

出発の2日前までは不安はありつつも期待に胸をときめかせていた。

 

でも出発の前日、友達が事故で意識不明の重体。一命はとりとめたものの意識が戻るかどうかはわからないような状況だという連絡が入った。

 

もちろんわたしは行かないと言った。

こんな状況じゃほとんど遊びにいくようなホームステイなんて行けるわけない。

 

でも親は冷静に、気持ちはわかるけどあんたがいても何もできない。今はただ祈って自分がやるべきことをやりなさいと言った。

 

わたしは泣きながらも渋々従った。今思えばわたし1人のためにたくさんの人が動いてくれていたのだから、そんな簡単にキャンセルはできない。親は正しかった。

 

パースはとても美しい街だった。こじんまりしていて特に何もないのだけど、歩いているだけで気持ちの良いところだった。

わたしはレベッカとキャットという2人のお姉さんの住むフラットに居候させてもらった。

2人とも本当にいい人で英語がまるきり話せないわたしに、あきれたり、イヤな顔ひとつせず丁寧に接してくれた。

 

レベッカはときどきすごく眠った。どうしようもなく眠いのだと言って昼も夜もこんこんと眠るときがあった。

キャットはバリバリ働いていて夜も遅く帰ってくることが多かった。

 

1週間たったある日、日本から電話が来た。わたしは緊張しながら受話器を取った。友人の容態が変わったのだろうと思ったからだ。結果友人は目を覚ましていた。きちんとしゃべることはまだできないし、記憶もあまり戻っていないみたいだけど、意識は戻ったとのこと。力がぬけた。それまでずっと身体に力が入っていたことに気がついた。わたしは泣いた。それを見てレベッカが入って来てわたしを抱きしめ、Im sorryと言った。わたしはレベッカが勘違いをしたことを知り一生懸命ノーノー!と言った。人が亡くなったときにお悔やみしますというのを英語ではIm sorryと言うのだとそのときはじめて知った。

 

2週間はパースですごして、3週目はレベッカの両親のブライアンさん夫妻と北オーストラリアのブルームまで飛び、そこからキャンピングカーで1週間かけてパースまで戻る旅に同行した。この1週間が本当に素晴らしかった。キャンピングカーで寝るなんて経験もはじめてだったし、言葉も通じない人たちと1週間ものサバイバルな旅。我ながらよく行ったなと思う。でも本当に行ってよかった。

 

キャンピングカーの後部座席で延々と流れていく景色を見ながらすごす。広大な大地に、朝は東から太陽が昇って夜は西へ沈んでいくのがずーっと目に見えていた。地球は回っているんだなと、そのときはじめて知った。いや、知識としてはもちろん知っていたけれど、それまでのわたしは全然まったく知っちゃいなかった。つまり本当には知らなかった。

 

空は一瞬たりとも同じ空じゃなかった。そんな中をカンガルーが飛び跳ねていって、エミューが走り回っていた。浜辺にはイルカがやってきていた。ペリカンもそのときはじめて見たんだった。想像していたのよりずっと大きくて、ピンク色だった。

 

今振り返ればその旅の間じゅう、わたしは全然ブライアンさん夫婦を手伝うこともしなかったし、まるっきり子供のように、されるがまま与えられるがままだったことを恥ずかしく思う。10代とはいえ後半も後半、十分大人と言える年齢だったのに。

でもみんな本当によくしてくれて、とてもありがたかった。

 

そんなブライアンさん夫婦とつい先日、日本で再会した。

彼らの息子が今は北海道で暮らしていてたまたま遊びに来ていたのだ。

 

久しぶりに会った彼らは20年という月日を全然感じさせず、変わらない人柄で思わずいろんな思い出が溢れてきた。もう70代だそうだけど、なんと北海道に別荘を買ったんだそう。そのバイタリティと財力が羨ましい。せめてバイタリティだけでも真似しなくちゃと、心密かにあこがれた。

 

今のわたしの何割かはあの日見た朝日と夕日でできていると確信している。

あのような旅はその後一度もできていない。いつか自分の力でまた辿ってみたいなと思うこともあるが、つい日々に忙殺されている。

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sakai